箇条書きに句点を打つべきか打たないべきかの厳密なルール

箇条書きに句点を打つかどうかについては、一般的には打つべきではないとされている。確かにほとんどの場合は、そうやって一律に理解しておけば問題ない。ただし、箇条書きでも句点を打つべき場合もある。そこで、この記事では、箇条書きの各要素の末尾の句点について、より厳密に解説していく。

目次

1. そもそも句点の働きとは

句点の本来の働きは、文の終止をわかりやすくすることだ。以下の文を見比べてみよう。

  • サザエさんが猫を追いかけた車が三台並んでいた道は狭かった
  • サザエさんが猫を追いかけた。車が三台並んでいた。道は狭かった。
  • 僕は決意した、必ずやトップの成績を取ると両親は喜んだ。
  • 僕は決意した、必ずやトップの成績を取ると。両親は喜んだ。

句点が文の終止をわかりやすくすることによって、明らかに誤解のないわかりやすい文になっている。これが句点の働きだ。

私たちは、当たり前のことほど失念してしまいがちだが、箇条書きだろうとなんだろうと、句点を打つべきかどうかに迷ったら、この句点の働きを思い出せば良い。つまり、そこが文の終止であるなら打つし、そうでないのなら打たない。

そのため箇条書きで句点を打つかどうかで迷ったら、次のように判断すればいい。

  • 箇条書きの要素が文でない場合は打たない。
  • 箇条書きの要素が文の場合は打つ。

一律に「箇条書きには句点を打たない」と言われるのは、箇条書きを使うとき、その要素が文でない・・場合がほとんどだからだ。実際には、一律に判断するべきではなく、箇条書きの要素によって使い分けるべきだ。

このことを頭に入れて、箇条書きの場合の句点の打ち方について見ていこう。

補足. 文とは何か

じつは文の定義には諸説あって一定していない。そこで、ここでは日本を代表する国語辞典である『日本国語辞典(通称ニッコク)』の定義を採用することにする。数ある国語辞典の中で、ニッコクの定義がもっとも包含的であり具体的だからだ。その定義については、以下のボックスの中で解説している。もし、文とは何かで悩んだら参考にしてみて欲しい。

文とは何か?

『日本国語大辞典』では、文は次のように定義されている。

文法上の言語単位の一つ。文章・談話の要素。単語または文節の一個または連続で、叙述・判断・疑問・詠歎・命令など話し手の立場からの思想の一つの完結をなすもの。定義には諸説ある。西洋文法では、主語・述語を具えることが文成立の条件とされることがあるが、日本文法では必ずしもそれによりがたい。文章。センテンス。

日本国語大辞典

要するに、文とは、叙述・判断・疑問・詠嘆えいたん・命令など、書き手や話し手の思想を表すものだ。それぞれの定義と例を以下に示しておこう。

  • 叙述:物事の事情や考えなどを順を追って述べること。また、その述べたもの。
    例)「花が咲いた。」「鳥が飛ぶ。」
  • 判断:外界やその人自身に関する物事が今どうであるのか、今後どうなるのか、どうあるべきなのか、どうすべきなのかを直感的あるいは論理的に考え、決めること。また、その決定の内容。
    例)「親切であることが大事だ。」「差別は間違っている。」
  • 疑問:本当かどうか疑わしいこと。また、そのような事柄。本当かどうか、また何であるかはっきりわからないこと。また、そのような事柄。
    例)「忘れ物はないか。」「文法は欠陥だらけなのだろうか。」
  • 詠嘆:文法用語。助詞、助動詞の用法の一つ。②の意味(物事に深く感動すること。感嘆。)を表わすもの。
    例)「素晴らしきかな。」「美しいなぁ。」
  • 命令:行うよう言いつけること。上位の者が下位の者にある事をするように言うこと。また、その内容。
    例)「片付けなさい。」「学びなさい。」

このように、文とは、書き手または話し手の一つの完結した思想を表すものや、物事を描写するものだ。「ありがとう。」や「こんにちは。」などの一言も、これに含まれる。

それでは、文ではない・・ものとは、どのようなものだろうか。例えば、「赤い花」は文ではない。これは、叙述・判断・疑問・詠歎・命令のどれにも当てはまらないからだ。しかし「花が赤い。」であれば、物事の叙述なので、文になる。

2. 箇条書きの要素が文でない場合は打たない

箇条書きの要素が単語の場合は、句点を打たない方がスッキリする。以下の二つの例を見比べてみよう。

  • イヌ
  • ネコ
  • トリ
  • サル
  • イヌ。
  • ネコ。
  • トリ。
  • サル。

このように箇条書きの要素が文でない・・場合は、句点は明らかに邪魔くさい。

次のように、単語に修飾語が加わって、文字数が多くなったとしても同じだ。

  • 飼い主に忠誠を誓うイヌ
  • 自由奔放で気ままなネコ
  • 美しい声でさえずるトリ
  • 物を掴むことができるサル
  • 飼い主に忠誠を誓うイヌ。
  • 自由奔放で気ままなネコ。
  • 美しい声でさえずるトリ。
  • 物を掴むことができるサル。

やはり、明らかに句点がない方がいい。

なぜだろうか?

その理由は、句点は、そこが文(一つの完結した思想)の終止であることを示すものだからだ。そのため、文ではない・・ものに句点があると、その語句が、何らかの完結した思想を表現しているものだと瞬間的に判断してしまいそうになるのだ。しかし実際はそうではない。この一瞬の誤認が「邪魔くさい」という感覚を呼ぶ。

以上のことから、箇条書きの要素が文でない場合は、句点を打つべきではない。

実際、箇条書きを使うときのほとんどは、その要素は文ではない・・ので、基本的には句点を打たない場合の方が圧倒的に多いだろう。ただし、箇条書きの要素が文の場合は、文の終止をわかりやすくするという意味で、句点を打った方が良い。次に、これについて見ていこう。

3. 箇条書きの要素が文の場合は打つ

箇条書きの要素が文の場合は、句点の本来のルールである「文の終止に打つ」に従うのが良い。

例として、以下を見比べてみよう。

  • 持久力は2時間のLSDトレーニングで鍛えましょう。
  • 心肺機能は5kmのビルドアップ走で鍛えましょう。
  • 瞬発力は400mダッシュ×10本で鍛えましょう。
  • 持久力は2時間のLSDトレーニングで鍛えましょう
  • 心肺機能は5kmのビルドアップ走で鍛えましょう
  • 瞬発力は400mダッシュ×10本で鍛えましょう

やはり、句点がない文が不完全であるのと同じで、箇条書きの要素が文の場合は、句点を打たなければ不完全になる。

その理由は、文とは、一つの完結した思想を表すものであり、句点は文の終止を明らかにすることによって、どこからどこまでが一つの思想なのかを示す働きをするからだ。そのため句点で結ばれていない文は、一つの思想単位として認識しづらいのだ。

このことから要素が文の場合は、一つの思想単位を表す記号として、句点を打つべきだろう。

別のタイプの文の場合も確認してみよう。

  • 親切をされたら、ありがとう。
  • 感謝をされたら、どういたしまして。
  • 朝起きたら、おはようございます。
  • 昼の挨拶は、こんにちは。
  • 夜の挨拶は、こんばんは。
  • 親切をされたら、ありがとう
  • 感謝をされたら、どういたしまして
  • 朝起きたら、おはようございます
  • 昼の挨拶は、こんにちは
  • 夜の挨拶は、こんばんは

やはり一つの思想単位を表す記号として句点を打った方がわかりやすく、文として違和感がない。

4. まとめ

ここまで述べてきた通り、箇条書きの各要素の末尾の句点については、次のように判断すれば良い。

  • 箇条書きの要素が文でない場合は打たない。
  • 箇条書きの要素が文の場合は打つ。

これは、そもそも句点は、一つの思想単位を明確にするために、文の終止に打つという基本原則に則ったものだ。そのため本質的には、箇条書きがどうのこうのと考えず、句点は文の終止に打つという基本原則に従えば良い。

なお、実際問題としては、箇条書きには句点は打たないケースの方が断然多いだろう。なぜなら、箇条書きの要素に文が来る場合は稀だからだ。



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