句点の使い方について守るべきたった一つのルール

句点の使い方のルールは単純だ。「文の終止に打つ」。これだけでいい。ここでは、このことについて詳しく解説していく。また、かぎかっこや箇条書き、三点リーダーなどの後など、悩む人が多い場合の句点の扱いについても解説する。

目次

1. 文の終止に打つ

読点(テン)と違って句点(マル)は、使い方に難しいところは少ない。要するに、文の終わりに必ず句点をつければ良い。それだけだ。これは正序文(通常の文)でも、倒置文(述語が先に来ている文。たとえば体言止め)でも同じだ。いくつか例を見ていこう。

正序文の場合

以下の文を見比べてみよう。

  • サザエさんが猫を追いかけた車が三台並んでいた道は狭かった
  • サザエさんが猫を追いかけた。車が三台並んでいた。道は狭かった。

句点がない最初の文は、何のことかわけがわからない。強引に解釈するなら、「サザエさんが猫を追いかけるために車を使っていて、しかもその車が三台もあり、それらが並んでいてスペースを塞いでいるために道は狭かった」ということになる。

しかし、それぞれの文の終止に句点を打つと、スッキリと意味が通る文章になる。

なお、誤った部分に句点を打つのは大問題だ。次の文を見比べてみよう。

  • 腸内細菌のことなど知るよしもない。叔母は60年余りの人生の知恵の一つとして、発酵食品が体に良いことを肌で知っていた。
  • 腸内細菌のことなど知るよしもない叔母は、60年余りの人生の知恵の一つとして、発酵食品が体に良いことを肌で知っていた。

前者の文だと、筆者である私が、腸内細菌のことを知るよしもないことになってしまう。それでは、腸内細菌を知るよしもない筆者が、腸内細菌を話題として提示していることになり論理的に破綻する。そのため、この文は「……知るよしもない叔母は、60年余りの……」でなくてはならない。

何気なく使っている句点だが、じつは打つ場所を間違えると、文の意味さえ変えてしまうほど重要なものなのだ。

倒置文の場合

なぜだか少数ながら、体言止めなどの倒置文には句点を打たないと勘違いしている人もいるようだ。正序文であろうが倒置文であろうが、文の終止には句点を打つ。

もし、倒置文に句点を打たなければ、次のように読み誤りを誘うものになる。

  • こんなにも感動するものなのか、生の演奏は。絶対にまた来たいと思った。
  • こんなにも感動するものなのか、生の演奏は絶対にまた来たいと思った。

このように、倒置文の終止に句点を打たなければ、次の文と連結してしまい、支離滅裂な文章になってしまう。

以上、句点は文の終止に打つ。

2. よくある質問

ここでは、句点の打ち方について、よくある質問について見ていく。先に言っておくと、句点の基本原則である「文の終止に打つ」に従えば良いだけだ。それでは確認していこう。

2.1. かぎかっこの句点

かぎかっこがあるからないからといって句点の打ち方に悩む必要はない。句点は文の終止に打つのだ。したがって、以下のように判断すれば良い。

  1. かぎかっこが文中にある場合は、閉じかっこの前後に句点は打たない
  2. かぎかっこが文の終止にある場合は、閉じかっこの後に句点を打つ

かぎかっこが文中にある場合

例として以下の文を見比べてみよう。

  • 私は「ありがとう」と言った。
  • 私は「ありがとう。」と言った。
  • 私は「ありがとう」。と言った。

このようにカギかっこが文中にある場合、明らかに句点は不要だ。

かぎかっこが文末にある場合

それではカギかっこが文末にある場合はどうだろう。この場合は閉じかっこの後に打つべきだ。以下の文を見比べてみよう。

  • イノベーションを志す全ての人たちへ言いたい。ナポレオンの言葉を借りると、私たちには「不可能という文字はない」。私たちは、ただただ可能性を追求するべきである。
  • イノベーションを志す全ての人たちへ言いたい。ナポレオンの言葉を借りると、私たちには「不可能という文字はない」私たちは、ただただ可能性を追求するべきである。
  • イノベーションを志す全ての人たちへ言いたい。ナポレオンの言葉を借りると、私たちには「不可能という文字はない。」私たちは、ただただ可能性を追求するべきである。

どれが最も読みやすいかは一目瞭然だろう。

なお、学校(義務教育)では、、昭和21年に文部省(※現在は文部科学省)が提案した『くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)』が優先されているようで、ルールが異なる。この点も含めて、『良文を書くための鉤括弧(かぎかっこ)と句点の二大原則』でより詳しく解説している。また、かぎかっこを使うときの読点の扱いに関しては『鉤括弧(かぎかっこ)に読点を打つべきかどうか』で解説している。

2.2. 丸括弧の句点

丸括弧の場合もカギかっこと全く同じだ。

  • 丸括弧が文中にある場合は句点を打たない。
  • 丸括弧が文末にある場合は句点を打つ。

それぞれ確認しよう。

丸括弧が文中にある場合

丸括弧が文中にある場合は、句点を打ってはいけない。以下の文を見比べてみよう。

  • 元禄時代は、狭義には元禄年間(1688年―1704年)をいうが、将軍徳川綱吉治政(在職1680年―1709年)をいう場合もある。
  • 元禄時代は、狭義には元禄年間(1688年―1704年)。をいうが、将軍徳川綱吉治政(在職1680年―1709年)。をいう場合もある。

句点を打ってはいけないことは明らかだ。

丸括弧が文末にある場合

この場合は、「文の終止に打つ」という句点の基本原則の通りで、閉じかっこの後に打つ。以下の文を見比べてみよう。

  • ある専門家の弁によると「人間の能力は先天的なものである」(A大学ヤマダ教授)。しかし別の専門家によると「人間の能力は後天的でなものである」(B大学イトウ教授)。どちらが正解なのだろう。
  • ある専門家の弁によると「人間の能力は先天的なものである」(A大学ヤマダ教授)しかし別の専門家によると「人間の能力は後天的でなものである」(B大学イトウ教授)どちらが正解なのだろう。

閉じかっこの後に句点を打っている方が、明らかに読み誤る恐れがないことがわかる。

なお、出版業界では、丸括弧が文末に来る場合で、それが補足説明である場合は閉じ丸括弧の後に句点を打ち、引用元を示す場合は丸括弧の前に句点を打つとしているようだ。このルールは大いに問題がある。この点も含めて、『丸括弧()と句点についてわかりやすい文を書くためのルール』でさらに詳しく解説している。

2.3. 箇条書きの句点

箇条書きにおいても、同様のルールに従えば良い。

  • 箇条書きの要素が文でない場合は打たない。
  • 箇条書きの要素が文の場合は打つ。

それぞれ確認していこう。

要素が文でない場合

箇条書きの要素が文でない場合、つまり単語や名詞句のような場合は、明らかに句点をつけるべきではない。以下を見比べてみよう。

  • イヌ
  • ネコ
  • トリ
  • サル
  • イヌ。
  • ネコ。
  • トリ。
  • サル。

このように要素が単語の場合に、いちいち句点を打つと邪魔くさい印象になる。このことは、単語に長い修飾語がついて、文字数が多くなったとしても変わらない。

要素が文の場合

箇条書きの要素が文の場合は、基本的に句点を打つべきだろう。なぜなら「文」とは一つの完結した思想(メッセージ)のことであり、完結した思想の終止を示す句点があることで、それぞれが独立した思想単位であることが明確になるからだ。

  • 持久力は2時間のLSDトレーニングで鍛えましょう。
  • 心肺機能は5kmのビルドアップ走で鍛えましょう。
  • 瞬発力は400mダッシュ×10本で鍛えましょう。
  • 持久力は2時間のLSDトレーニングで鍛えましょう
  • 心肺機能は5kmのビルドアップ走で鍛えましょう
  • 瞬発力は400mダッシュ×10本で鍛えましょう

「箇条書きの場合は句点を打つべきではない」とする者が多いが、それは、大抵の場合、箇条書きの要素は単語や名詞句だからだ。より詳しくは『箇条書きに句点を打つべきか打たないべきかの厳密なルール』で解説している。

2.4. 三点リーダーの句点

三点リーダーの後の句点の扱いについては例外だ。これについてはルール化するべきではない。なぜなら、三点リーダーは主に文学において、文字だけでは表すことのできない余韻や情感、間を表現するものだからだ。そして、文学的表現とは異なって、わかりやすい文を書くという点では、使用を避けるべきものだ。

文学において、三点リーダーの後の句点の打ち方は、作家によって様々であるし、同一の作家でも常に同じ打ち方がなされているわけではない。

ここでは二つだけ例を見てみよう。

長くなった頸、飛び出した眼、唇の上に咲いた、怖ろしい花のような血の泡に濡れた舌を積み込んで元の路へ引き返した。……

夏目漱石「それから」

……が、待てよ。何ぼ自然主義だといって、如何どうもダラダラと書いてみた日には、三十九年の反省を語るに、三十九年掛かるかもしれない。も少し、省略はしょらう。

二葉亭四迷「平凡」

ご覧のように文学の世界では、文字だけでは表すことのできない間や情感を表現するために、三点リーダーは使われている。そのような高度な文字表現では、句点を打つか打たないか、どう打つか、によって文字から伝わるニュアンスが異なる。そのため、ルール化せず、自分が表現したいニュアンスに最も合致するものを自由に選ぶべきだろう。

より詳しくは『三点リーダーの後に句点をつけるべきかどうか』で解説している。

3. まとめ

以上をまとめると、句点は「文の終始に打つ」という原則に従えば良い。ただし、文学的表現における三点リーダーは作家の自由とするべきだ。



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