主語と述語は、文を構成する最も基本的な語句だ。そのため、主語と述語の関係が適切かどうかは文のわかりやすさに大きく影響する。特に、主語と述語がねじれている文はとてもわかりにくいものになってしまう。そこで、ここでは主語と述語について詳しく解説する。
目次
1. 主語・述語の簡単なおさらい
主語と述語の関係や、文法上の働きについて見ていく前に、主語と述語を簡単におさらいしておこう。
1.1. 主語とは?小学生でもわかる説明
以下に示している通り、主語とは、「何がどうする」「何がどんなだ」「何がなんだ」の「何が」にあたる部分のことだ。

この「何がどうする」「何がどんなだ」「何がなんだ」の三つは、文の中で最も基本的な形のものだ。その中で主語は、述語と並んで、文を構成する最も基本的な要素の一つであり、述語に対して、「何が(誰が)」という情報を与えるという重要や役割を果たしている。
より詳しくは、『主語とは?その意味や述語・修飾語との関係(主語述語問題付き)』で解説しているので、確認しておこう。
1.2. 述語とは?小学生でもわかる説明
一方で、述語とは、「何がどうする」「何がどんなだ」「何がなんだ」の「どうする」「どんなだ」「なんだ」にあたる部分のことだ。
文において、「どうする(「飛ぶ」等)」・「どんなだ(「青い」等)」・「なんだ(「犯人だ」等)」の部分は、その文の意味を決定づける部分だ。つまり述語は、文の結論を示す役割を担っており、決して欠かすことのできない語句だ。
より詳しくは、『述語の意味や働きと「述語にかかる」ということの解説』で解説しているので、確認しておこう。
2. 主語と述語の関係
主語と述語は、文を構成する最も基本的な要素であり、主語は述語の主体を示し、述語は主語の動作・状態・性質を決定づける役割を担っている。そして、両者の関係のことを「主述関係」という。

それでは、この主述関係とは、具体的にはどのような関係なのだろうか。
2.1. 主述関係とはかかり受け関係
結論から言うと、主語と述語は、主語が述語に「かかり」、述語は主語を「受ける」という「かかり受け」関係にある。「かかる」とは、修飾する(意味を詳しくする・限定する)ということだ。一方で、「受ける」とは、修飾される(意味を詳しくされる・限定される)ということだ。
例えば、「走る」という述語があるとする。この述語に対して、主語は「何が」という情報を加えることで、意味を詳しくする(=修飾する)。主語が述語にかかることによって、はじめて「何が」走っているのかがわかる。

このように、主語は、述語に対して「何が」という情報を修飾する。これが主述関係だ。
2.2. かかり受け関係は修飾被修飾関係と全く同じ
じつは、この関係は、主語と述語だけに固有のものというわけではない。修飾語も主語と同じように述語にかかるし、述語は同じように修飾語を受ける。具体的には、主語は「何が」という情報を述語に加えるのと同じように、修飾語は「いつ」・「どこで」・「何を」・「どのように」という情報を述語に加えることで、述語の意味を詳しくする。
例えば、以下の文を見てみよう。

修飾語が述語に対して、「いつ」・「どこで」・「どのように」という情報を提供しているのと同じように、主語も述語に対して、「何が」という情報を提供しているに過ぎない。
このことから、日本を代表する国語辞典である『日本国語大辞典(通称:ニッコク)』は、「(主語は)連用修飾語の一区分と見る考えも有力である」としている。つまり、主述関係というのは確かに重要だが、それは修飾・被修飾関係の一つに過ぎず、他の修飾語と比べて群を抜いて重要というわけではないということだ。
なお、修飾語については『修飾語とは?主語述語との見分け方や被修飾語等の解説』で詳しく解説している。
補足1. 英語文法と日本語文法の違い
主語と述語は、文において特別に重要な成分であると言われる。しかし実際は、日本語の文においては、不可欠な成分は述語だけだ。主語は、ほかの修飾語と同じように、不可欠な成分ではない。それにも関わらず、主語が、修飾語と違って特別扱いされる理由は、現在の日本語文法は、欧米の言語の文法を当てはめて作られているという点にある。この点について解説すると非常に長くなるので、以下に補足として置いておくことにする。興味がある方は、以下のボックスをクリックして読み進めてみてほしい。
補足2. 文法1.0から文法2.0へ
主語を修飾する言語である英語の文法と、述語を修飾する日本語の文法は本質的に異なる。それにも関わらず、現在の日本語文法は、欧米の言語の文法を当てはめて作られている。私は、これが日本人の作文力・読解力・論理的思考力に限界を定めてしまっていると考える。私たち日本人の、これらの能力を伸ばすには、今までの文法1.0から文法2.0へと進化することが重要だ。以下では、この点について述べている。興味がある方はクリックして読み進めてみよう。
3. 作文で注意すべき主語と述語のねじれについて
さて、主語と述語の関係について論じるには、必ず触れておかなければならないことがある。それが「主語と述語のねじれ」という現象だ。わかりやすい会話や文を心がけるには、この点に注意しなければならない。
それでは、主語と述語のねじれとは何だろうか。
例えば以下のような主語と述語のリストがあるとする。
- 鳥が
- 背が
- 重要なのは
- 高い。
- 習慣だ。
- 飛ぶ。
これらの主語と述語を組み合わせるとき、それらが適切な主述関係(=修飾非修飾関係)になければ、出来上がる文の内容は、以下のように不明瞭なものになる。
- 鳥が高い。
- 背が習慣だ。
- 重要なのは飛ぶ。
これらの文は日本語として明らかにおかしい。主語と述語の組み合わせ方に問題があるからだ。
しかし、主語と述語が適切な関係にあれば、以下のようにスッキリと意味が通る文になる。
- 鳥が飛ぶ。
- 背が高い。
- 重要なのは習慣だ。
ご覧のように、主語が適切な述語にかかり、そして述語が適切な主語を受けることによって、文の意味は初めて明瞭になる。
上の例はあからさまなものだが、少し複雑な文になると、主語と述語のねじれはとても起こりやすい。
例えば、以下の文はある文化人類学の書籍から取り出したものだ。
ここで重要なのは、非単系の社会に血縁集団が存在する場合、必ず土地・財産などはその成員が共有するか、あるいは一成員の所有となる土地と財産とに他の成員が依存することが必要だと思われる。
この文は、そこまで長いものではないのにも関わらず、非常にわかりにくく読み進めていてイライラする。その理由は、主語と述語がねじれているからだ。
通常、「ここで重要なのは」という主語を受ける述語は、「◯◯だ」「◯◯ということだ」というように[名詞+助詞]のかたちになっていなければいけない。
それにも関わらず、上記の文は「ここで重要なのは・・・必要だと思われる」というように主述関係がめちゃくちゃになっている。だから、文の意味を理解するのに脳をフル回転させなければならず、それがイライラを引き起こしてしまう。
それでは、どうすればこの文を読みやすくすることができるだろうか。
以下のように主述関係を適切にしてあげれば良い。
ここで重要なのは、非単系の社会に血縁集団が存在する場合、必ず土地・財産などはその成員が共有すること、あるいは一成員の所有となる土地と財産とに他の成員が依存することが必要だということだ。
ご覧のように、主語と述語のねじれを直してあげれば、たとえ言葉が難しかったとしても、この文がどのような構成になっていて、どのようなことを伝えようとしているのかが途端にわかりやすくなることを実感して頂けるだろう。
以上が主語と述語のねじれだ。
会話したり、文を書いたり、思考したりするときは、この主語と述語のねじれが起きないように注意しよう。それだけで会話力・作文力・論理的思考力を一つ上のレベルに引き上げることができる。
4. まとめ
結論として、ここまで述べたように、主述関係とは、主語と述語のかかり受け関係であり、文の意味の明瞭性を大きく左右する重要な要素だと言える。
しかし、日本語の理解をもう一歩深めて、一段上のレベルの読解力・作文力・論理的思考力を養うには、実は一般的に教えられる「主述関係は文の中で特に重要」という考え方には問題がある。主語の述語に対する重要度は、修飾語のそれ全く違いはない。というよりも、結局のところ、主語は修飾語の一つに過ぎない。
わかりやすく伝えるためには、主語と述語だけを特別視するのではなく、以下で示している文の成分のうち、相手や読み手に必要な情報を適切に読み取って選択することが重要なのだ。
- 主語:「何(誰)が」
- 修飾語:「いつ」・「どこで」・「どのような」・「何(誰)を(に)」・「どのように」
- 述語:「どうする・どうだ・なんだ」
ぜひ、このことを覚えておいて欲しい。
最後にもう一度繰り返しておこう。主語が特別に重要なのではない。主語を含む修飾語全体のうちから、必要な情報を適切に判断して、過不足なく提示することが重要なのだ。
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